VBP的臨床推論

価値に基づいた診療(Values Based Practice: VBP)を学ぶ

価値とは何か

VBPとは何かを語る際に,「そもそも価値とは何か」について定義しておく必要がある.まず,日常的に出会うが,対応に困るような事例の提示から始めたい.

事例

35歳男性.2日前から37℃程度の微熱,鼻汁,咽頭痛,わずかな咳がみられ,処方希望で内科中心に総合的に診る都市部の診療所を受診.医師はウイルス性上気道炎として矛盾しないと考え,眠気があまりない抗ヒスタミン薬の処方を提案した.ところが,患者は抗生物質を出して欲しいと医師に要求.医師は,抗菌薬はウイルスに効果がないこと,下痢や菌交代などの副作用の可能性があること,抗菌薬が効きにくい菌が増加する可能性があることを説明した.しかし患者は「今まで薬を飲んで治ってきたし,副作用になったことはない.これまでの医者は処方を渋ったことはない」と主張したため,患者の要求に従うことにした.

何となくすっきりしないと感じる方が多いだろう.医師にとって納得のいかない要求を患者にされ,医師はちょっと苛立ちを感じつつ,理屈で説得を試みた形だが,逆に理屈で対抗されて要求を飲んでしまった形である.もっとよい説得の方法があったのだろうかという振り返りはあまり賢い方法ではなさそうである.

患者中心の医療を実践しておられる先生方ならすぐに分かるだろうが,鍵を握るのは「抗生物質を出して欲しい」と患者が要求したところである.この要求は患者の価値の表出と言える.しかし,その裏にどういう考えがあった上でその結論に至ったか,より本質的な価値は何かを探ることが重要であろう.ということは,「抗生物質を出して欲しい」と要求されたときに,「なぜ抗生物質が欲しいんですか?」と質問をすることがより円滑にこの場を切り抜けるための第一歩であったと言えそうである.

実は,患者には70歳の母親がおり,それなりに健康に暮らしてきていたが,数年前に肺炎球菌による肺炎を起こし,症状が強かったため入院が必要になった.その際,診療所では総合感冒薬しか出されておらず,入院したときの主治医が,「抗生物質を早めに飲んでおけば,ここまでひどくならなかったでしょうけどね」と説明していたのだった.

それからしばらくして,この患者自身も風邪を引いた後に1週間ほど熱が続き,今回受診したところとは違う診療所を受診したところ,「胸の音からは,軽い気管支肺炎の疑いがあるので,抗生物質を出しておきましょう」と言われた.そのときは,抗菌薬を服用すると翌日から熱が下がり,身体が楽になったため,抗生物質は風邪に効く強い薬なんだという思いに至ったのだった.

このように,「価値」とは,患者側,医師側の双方において,「何を重視しているか」を指す.この例では,患者は風邪を早く治したい,2歳,5歳の娘たちに風邪を伝染させたくない,そのためには抗生物質がよいだろうという考えに依拠していた.

一方,この医師は,風邪に対する抗菌薬処方は医学的に間違っている,抗菌薬処方量と耐性菌検出率には関連性がある,臨床上の意思決定においてエビデンスに沿うことが第一である,という価値に則って治療の意思決定をしようとした.このように各自の考えを並べて見てみると,ガチンコで対立しても,解決策が生まれなさそうなことが分かるだろう.

このような非常にシンプルな事例においても,「価値への気づきの重要性」,「コミュニケーション技法」,「当人中心の診療」,「二本の足の原則」といった要素に配慮すれば,全く違った結論になる可能性があることが浮かび上がる.

VBPの理解が進むと,この事例のような「すれ違い」が生じた場合に,どこがすれ違ったのかを振り返るときの能力が高まっていく.10の要素のどれが今必要なのかを診療しながら認識できるようになったら,おそらく診療能力が全く違った次元に成長するのを実感していただけるだろう.