VBP的臨床推論

価値に基づいた診療(Values Based Practice: VBP)を学ぶ

ICE-StARに注目した価値に基づくこどもの発熱診療 〜Episode 1〜 

 今回はVBPを実診療でどう使うのか、教育という側面から事例をもとに2本立てでご紹介したい。

 K市立病院の救急外来での話、2年目初期研修医の星先生と救急専攻医の加地先生が当直をしていた。準夜から続いた救急外来の混沌も落ち着いた午前3時、2人はようやく仮眠に入った。その30分後、2歳男児が母親に連れられて受診し、1st callの星先生が呼ばれた。予診票には2時間前からの発熱と書いてある。

 呼び入れると、母に手を引かれ男の子が診察室に歩いて入ってきた。その子は反対の手には新幹線のおもちゃを持っている。そして、その一歩後ろに祖母が2人の荷物を持って入ってきた。

 生来健康な2歳男児、日中は特に問題なくいつも通り就寝、深夜1時に児の呼吸が荒いことに一緒に寝ていた母が気づき、体温を測ると40.3℃あった。しばらく様子を見ていたが、熱が下がらないので祖母の運転する自家用車で来院した。

 バイタルサインは異常なし。口蓋弓に周囲に発赤を伴う小水疱が散在し、熱源と思われた。他に身体所見上、特記すべき所見なし。

 

 “これは昨日も診たヘルパンギーナってやつだな。全身状態も良いし、加地先生呼ばなくてもいいな。対症療法で帰宅にしよう。”

 「お母さん、ヘルパンギーナという夏風邪の一つですね。おもちゃで遊べているみたいですし、大丈夫ですよ。解熱剤出しますので、これで今日は様子を見てください。水分しっかりとって安静にしてくださいね。熱が続いたらかかりつけに日中受診してください。お大事にしてください。」

 そして、星先生はまた仮眠室に戻った。

 その1週間後、星先生は臨床研修部長の郡先生に呼ばれた。この患者さんの祖母からこんな手紙があったそうだ。 

『(抜粋)〜娘は、孫の熱を本当に心配していました。この熱で頭に障害が残るのではとも思っていたようです。私がそんなことはない、と言ってあげられれば良かったのですが、自信が持てず受診させて頂きました。診察頂いたことには感謝しております。ただ、何かすごく急いで診察されていたように感じましたし、娘の心配は解消されず、ずっと一晩寝ずに看病しておりました。娘は翌日仕事で大事な会議があったようで、満身創痍の状態で仕事に行きました。幸い孫の熱は下がり元気になりましたが、続いて娘の調子が悪くなり仕事を休んで寝込んでおります。〜(略)』

 

郡先生:「どう?心当たりある?」

星先生:「すいません。正直あまりトラブルになった感じはなかったです。ただ、当直帯に入ってずっと休めなくて、早く寝たいなと思っていたのは確かです。なんとなく納得されてない様子はあったかもしれません。」

郡先生:「確かに、分かるよ。午前3時は一番しんどい時間帯だしな。先生にとっていい機会だからこの事例をゆっくり振り返ってみようか。今、俺、価値に基づく診療(VBP)ってのを勉強してるんだよ。本出てるよ。ブログあるから一緒に見ようか。え〜と、VBPの10要素というのがあって、今回はコミュニケーション技法のICE-StARってのがうまく使えると思う。」

星先生:「VBPって何ですか?ちょっと怪しい感じが。」

郡先生:「英国の総合診療医の人たちが提唱してるみたいだよ。本も良いけど、とりあえずブログの『価値への気づき』ってとこ見て、振り返ってみてよ。この事例のICE-StARって何だったのか、とかさ。明日また相談しようよ。」

星先生:「分かりました。ちょっと勉強してみます。」

 

さて、ICE-StARへの気づきにより星先生のこどもの発熱診療はどう変化するだろうか。次回、Episode 2 でご紹介したい。

知識

 VBPの4つの臨床スキルの3つ目は「知識」である。特に情報検索を通じて問題解決を図ることを指す。

 中年男性の糖尿病患者の価値について知識を得るために、Pubmedでdiabetesとvaluesの2語で試しに文献検索してみる。37000件の文献にヒットし、ここから、年齢や性別、発表年代でlimitをしていくが一向に現実的な文献数に減らない。しかも、valuesは「価値」ではなく「値(平均値やp値など)」を指しているようである。

 このように、VBPに関連する知識を得るための文献検索は、これまで我々臨床家が習得してきた手法では効率よく行うことができない。VBPではwebサイト上でValue Search Tools(VaST)を紹介し、その具体的手法を示している。特に有用なのは、目的の検索語を「価値フィルター」と組み合わせて検索することである。

 

価値フィルター(注)

1.Attitude* (tw)

2. Perceptions (tw)

3. Qualitative (tw)

4. Coping (tw)

5. Counseling (tw)

6. Cultural (tw)

7. Ethics (tw)

8. Experiences (tw)

9. Interviews (tw)

10. Perceived (tw)

11. Personal (tw)

12. Professionals (tw)

13. QOL (tw) OR Quality of Life (mh)

14. Relations (tw)

15. Respondents (tw)

16. Satisfaction (tw)

17. Staff (tw)

18. Well-being (tw)

19. Adaptation, Psychological (mh)

Nurse’s Role (mh)

21. Social Support (mh)

22. OR/1-21

 

 ただし、価値フィルターを用いても診療に影響を与えうる文献に巡り逢いえるとは限らない。そもそも、価値に関わる研究が希少だからであり、かつ得られた知識は海外の価値に関するものだからである。私見とはなるが、文献検索による知識の獲得はVBP活用の応用編と考えられる。まずは、本ブログや訳書「価値に基づく診療」によってVBPに関する一般的な知識を得ること、そして、現実的な応用性を考えて、医中誌などを用いて看護研究や質的研究を中心に検索すると臨床現場に応用可能な文献に出会えるかもしれない。より深く学ばれたい方には、webサイト(The Collaborating Centre for Values-based Practice in Health and Social care: http://valuesbasedpractice.org)をお勧めしたい。

 

注)tw,mh

Medlineで検索する範囲を限定するために用いるタグの一種。

twはテキストワード、mhはMeSH Termsを表す。

詳細は下記のURLを参照のこと。

http://www.tdc.ac.jp/lib/pubmed/tag.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/MEDLINE

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推論

 4つの臨床スキルの2つ目である推論(reasoning)の方法論として、VBPでは事例検討が推奨されている。

 事例検討はJonsen, A.R.とToulmin,Sとが「生命倫理に関する米国大統領府委員会」での経験をもとに考案し(1988年)、その後、臨床の場で利用できるように再構築されてきた。

 JonsenとToulminは、医療の倫理的問題を議論する際には、そのことが「なぜ」なされたのかを悩むのではなく、「何が」なされたのか、その事例の詳細について没頭して考えることが重要と結論付けている。

 臨床家が事例検討により省察する際には以下の2点を自問自答すると良い。

  1. 悩んでいる事例において何を改善すると、次にやるべきことが明確になるだろうか?(まずは1つだけ改善点を考えてみると良い)
  2. 倫理的観点から、この事例を他の関連する事例と比較することで、何か見えてくるものはあるだろうか?

 事例検討は、倫理的な正しい解決策を導き出すよりも、与えられた状況下で影響を及ぼす価値の理解に対する視野を広げ、省察を促すことが主たる目的であり、No blame cultureが原則と考えられる。

 一方、推論の手法として、事例検討がバイアスや偏見を増強する可能性も指摘されており(Kopeman,1994年)、状況に応じて、「原則に基づく推論」、「功利主義」などの他の推論方法(注)を用いることが求められる。また、複数の別の立場の医療者を交えた多職種で事例検討することもバイアスや偏見の制御に有効である。

注) 原則に基づく推論(principle reasonings)

  :何らかの倫理的原則(例えば、新ミレニアム医師憲章、ジュネーブ宣言、

   ヒポクラテスの誓いなど)に則り、ある事例を演繹的に検討すること。

   功利主義(utilitarianism)

  :社会全体の最大幸福の総和を最大化するという考え方。

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