VBP的臨床推論

価値に基づいた診療(Values Based Practice: VBP)を学ぶ

当人中心の診療のpart4 〜完結編〜

これまで、当人中心の医療について、概論(part 1)価値の対立が生じた事例(part 2)その事例の考察(part 3)を論じできた。今回は総括として、この事例で「もしも、当人の価値中心の診療が実践されていたら」を考えてみたい。

 

根本医師の想い

 "今日の外来は混んでるなぁ。えっと、次の患者さんは、38歳男性、発熱と咽頭痛か。さっき、ちらっと見えたスーツの人かな。Red flagがないことを確認して、対症療法でいけるかな。ここで時間短縮しよう。

 でも、待てよ。もし、さっきのスーツの人だとしたら、これから仕事に行く感じだな。あまり時間はかけられないけど、何か要望があるかもしれないし、ICE-StARは気にしておこう。できれば、抗菌薬処方なしでいきたいけど、まずは、C(Concerns:心配)、E(Expectations:期待)を聞いてみよう。"

 

根本医師と阪井氏の対話

根本医師:「阪井さん、お話を伺って診察した限りでは、のどの風邪だと考えられます。ウイルスが原因なので、数日の経過でご自身の免疫力で自然に治ります。本来であれば安静で様子を見ていただくのが良いのですが、これからお仕事でしょうか?」

阪井氏:「そうなんです。今、忙しくって週末も仕事なんですよ。」

根本医師:「そうですか。お忙しいんですね。あの、感冒という状態ですので、一般的には熱に対して解熱剤をお出しして、それで様子を見ていただくことが多いのですが、それだとご不安でしょうか。他にこんな治療が良いなど、ご希望あられますか?(*)

*注釈:Concerns(心配)とExpectation(期待)を聴取している

阪井氏:「抗生物質を出して頂くことできますか?できるだけ早く治したいんです。」

根本医師:「なるほど。早く治すために抗菌薬が必要とお考えなわけですね。阪井さん、差し支えなければ、抗菌薬を希望されている理由、伺えますか?(*)

*注釈:Idea(考え)を聴取している

阪井氏:「週明けに海外出張があるんです。前に風邪をひいて国際線に乗ったら、ひどい頭痛が出て現地でもずっと調子が悪かったんです。航空副鼻腔炎だったのでは、と同僚に言われました。抗生物質副鼻腔炎予防できますよね?」

根本医師:「そうだったんですね。ならもっと良い方法があります。あの、顔の額や頬の部分に副鼻腔という空洞があります。風邪をひいて、鼻が詰まっているときに飛行機に乗ると、気圧の変化でその空洞の中の圧力が高くなって頭痛が起きるんです。鼻の粘膜の浮腫みをおさえる点鼻薬と内服がその対策に良いと言われていますので、それをお出しする形でいかがでしょうか?点鼻薬は飛行機にのる30分程前に使うと良いです。」

阪井氏:「そうだったんですね。それでお願いします。抗菌薬は効果はないということですか?」

根本医師:「はい。副鼻腔炎への予防的な効果は示されていないんです。あと、恐れ入りますが、阪井さん英語お得意だったりしますか?(*)

*注釈:Strength(強さ)を聴取している

阪井氏:「はい。年に何回も出張します。うちの会社は通訳はいないので、現地での会議も自分たちだけでしますね。」

根本医師:「それはすごいですね。英語なんですが良いサイトがありますので、今、印刷しますね。CDCという米国の機関が出しているYellow BookというページにAir Travelに関する説明が書いています。すいません。今混み合ってるので、ゆっくりご説明はできないのですが、お読みいただければご理解頂けると思います。あと、Googleで航空副鼻腔炎と調べると、航空会社のページで予防法など出ていますので参考にされてください。」

阪井氏:「ご親切にありがとうございます。参考にします。出張も安心して行けそうです。」

根本医師:「先ほどお話した解熱剤は痛み止めの効果もあるので、万が一、機内で痛みが生じた場合には使って頂いて良いです。出張うまくいくと良いですね。お大事されてください。」

 

振り返り

根本医師は診察前の数秒間で、自分自身の価値(抗菌薬はあまり処方したくない)を確認し、阪井氏の価値にも留意することをブリーフィングしている。そして、ICE(いわゆる解釈モデルに近い)としてのIdea(考え)、Concerns(心配)、Expectations(期待)と聞き出すことにより、「航空副鼻腔炎を防ぎたい」という阪井氏の最も重要な想い(価値)を同定し、そしてStAR価値として、阪井氏の英語力というStrength(強み)を引き出しながら、阪井氏と根本医師の価値をすり合わせ、相互理解がなされ、ディスセンサスを得ることができた。

 

「当人の中心の診療」を事例を用いながら4回に分けて解説してきました。ご覧のように、このようなある意味ではありふれた診療風景においても、医学的側面だけでなく、患者の価値は意思決定に大きく影響していることが分かります。さらには、医療者の価値も無関係ではないことにも気付きます。「当人の価値中心の医療における」、当人とは、そのケアに関わる全ての人を指す。

今回は、患者と医師の2者の価値が議論の中心でしたが、次回はVBPの10のプロセスの次の段階、「他職種チームワーク」です。患者・医療チームの各メンバー・患者の家族を含めた価値の議論となるものと思われます。(来週はお休みを頂き、再来週にお届け致します。) 

当人中心の診療 part 3 〜「当人」の価値を紐解く〜

 今回は、前回の価値の対立が生じた事例について、振り返っていくこととする。

 まず、ここで「価値とは何か?」を再度、確認したい。以前の記事「価値とは何か」でもお伝えしたように、価値とは「各自が最も重要、大切だと思うもの、概念」を指す。そこで、この事例の根本医師(医師)と阪井氏(患者)がそれぞれ何を重視していたかを紐解いて行きたいと思う。

根本医師の価値

 卒後7年目の家庭医である根本医師が、混雑する土曜日の外来を、学会で不在の同期医師の代診を一人で行っているようである。気のすすまない状況に加え、丁寧に診療をしたくても出来ない状態にあり、感情的なゆらぎが生じていたのかもしれない。その中でRed flag signのない若年男性の典型的な上気道炎症例について、根本医師は「時間を掛けずに診療を収束させる症例」と判断していたのかもしれない。すなわち、根本医師の診療上の重要な点(価値)として、「時間を掛けずに外来をこなすこと」が無意識に設定されていた可能性が高い。

 次いで、根本医師自身の医療者としての価値を考えてみる。阪井氏とのやりとりを見ていると、耐性菌という問題を引き合いにだして抗菌薬を処方しないための説得を行っている。抗菌薬や医療資源の適正使用などに想いあり、彼自身が話しているように、「感冒には抗菌薬は処方しない」という診療スタイルに価値を置いている。

 ここで留意すべきなのは、VBPの臨床スキルの1つ、医療者自身の価値への気づきである。根本医師自身が、上記の2つの価値を持っていることを自己認識できているかが一つの大きなポイントである。医療者が自身の価値を認識し、それを適切に患者やその家族と共有することで、相互理解につなげることができる。 

 根本医師が阪井氏の予診票を見た時点で、「自分は今、余分な時間を掛けない外来診療をしようとしている」、そして「自分は感冒に抗菌薬を処方しないというスタイルで、上気道炎と思われる患者さんを診療する」といったいわゆるメタ認知が出来ていれば、阪井氏との外来診療は少し違った雰囲気になったかもしれない。

阪井氏の価値

 仮に、阪井氏が下記のような生活背景を持っているとする。

 38歳男性、会社員。文系の大学を卒業後に一般企業に入社するも、年功序列的な雰囲気に馴染めずに10年前に退社し、大学時代の友人とベンチャー企業を立ち上げた。はじめは経営に苦労したが、得意な英語を生かして、海外の企業との提携を通じて次第に事業を拡大し、ここ数年は軌道に乗り始めた。週明けにさらなる海外展開に向けた大手企業との社運を賭けた重要な会議がシンガポールであり、ここ1ヶ月間はそれに向けて全精力を注いできた。

 昨年に風邪をひいた状態で海外出張に行った際に、飛行機内で強い頭痛が生じた。その後も症状が遷延して、仕事がうまく出来なかったことがあった。そのことを海外経験が豊富な友人に相談したところ「航空副鼻腔炎だったのかもね」と言われたことがある。

 本人と妻(35歳)、娘(3歳)の3人暮らしであり、妻とは今の会社で知りあったが、娘の妊娠後に退社し、その後は専業主婦となった。阪井氏は仕事に忙しく、家に帰っても時差のある海外企業との電話やSkypeでのミーティングに追われ、家族との時間はなかなか持てない。先週、娘が風邪をひいた際にも自分は看病に関われず、妻一人で看ていた。家族には申し訳ない想いでいるが、来週の海外出張後に落ち着いたら家族とゆっくり過ごしたいと考えている。

 よって、阪井氏は、「何としてでもこの症状を早く治したい」、「副鼻腔炎だけにはなりたくない」という価値を持っていることが分かる。

リアルワールドで、どうするか?

 ここで問題は混雑した外来で、この価値をどう引き出すか、である。根本医師が自身の価値に気づいていれば、「自分は抗菌薬を処方しない価値である、ただ、阪井さんの価値はどうだろうか」というように患者の価値に想いをめぐらせることは決して難しいことではない。

 鍵となるのは、やはり、価値を引き出す臨床スキルのICE-StARである。初見の方は、以前の記事「どのようにして患者の価値を聴き出すのか?」をご一読ください。根本医師は、「これから仕事に行くんだろうな」というように、外観から阪井氏の背景を読み取る姿勢は見せている。ここで、ICE-StARの1つの要素だけでも聴取しておきたいところである。例えば、根本医師が解熱剤での経過観察を提示した際に、Concerns(心配)として「この治療方針について、何か心配がありますか?」と一言聞くだけで、海外出張への心配や航空副鼻腔炎への懸念は聴取できたかもしれない。無論、混雑した外来や救急外来などで、Concerns(心配)を聴く時間はないことは十分にあり得る。 

 ただ、根本医師自身の価値への気づきとして、「自分が今、急いで外来をしている。でも阪井さんも忙しそうに見える。少しでもこの方の価値を聴きたい」という俯瞰的な認識を持つことができていれば状況が変わった可能性がある。ときに我々は、「〜する余裕がない」ことと「〜する時間がない」ということを混同する。阪井医師は、Concers(心配)を聴取する物理的な時間がなかったのではなく、ICE-StARを引き出す余裕、もしくはそこから派生する価値を受け止める余裕がなかったのかもしれない。この意味で、価値への気づきは重要なスキルと考えられる。アスリートが試合の重要な局面で何かをつぶやいている光景を見ることがあるが、これに似ている気もする。

 筆者も今、あることに気づきました。一人で盛り上がりかなりの長文になっていますね。今回はここで一旦切り上げ、次回、「もしも、根本医師が『当人たち』価値に気づいていたら」として、当人の価値中心の診療を掘り下げてみたい。

当人中心の診療 part 2 〜価値の対立からディスセンサスへ〜

前回は概論を学びました。

今回と次回、事例を通じて「当人中心の診療」を考えていきます。

  根本先生は診療所で勤務する卒後7年目の家庭医。

今日は、学会出張している同期の加地先生の代診で今日は土曜日午前の外来担当。さすがに土曜日の外来は朝から混雑し、高血圧や糖尿病の定期受診、健診精査希望、不登校の中学生、こどもの感冒など。もう20人ほど見ているが、カルテは増えていくばかり。

次に呼び入れることになったのは、

「38歳男性 阪井一博 氏 主訴:発熱と咽頭痛」。

呼び入れると、スーツをビシッと着こなした見るからにデキるビジネスマンの男性が診察室に入ってきた。

現病歴

数日前から咳嗽があり、のどに違和感があった。昨日の朝から体がだるく感じていたが、我慢して仕事をしていた。夕方になり倦怠感が強くなり、帰宅後に熱を測ると39℃の発熱があった。次第に頭痛も生じてきたので、自宅にあった手持ちの解熱剤(アセトアミノフェン)を飲んでなんとか就眠した。朝になり頭痛は軽減したが、のどの痛みが強くなり、発熱も持続しているので来院。

呼吸苦はなし。食欲はないが水分摂取は可能。既往や常用薬アレルギーはなし。

同居家族内では、先週に3歳の娘が発熱、数日で解熱し今は元気。

身体所見

BT 39.4℃, BP 118/58mmHg, HR 98bpm, RR16/min, SpO2 99%, 意識清明

咽頭:口蓋弓に強い発赤を認める

顔面:前額洞・上顎洞の圧痛なし

頚部:後頚リンパ節に小豆大のリンパ節腫脹を複数認め軽度圧痛

呼吸音・心音:ラ音なし, 心雑音なし

腹部:平坦・軟, 肝脾腫なし

四肢:浮腫なし

皮膚:皮疹なし

神経:ジョルト試験陰性

 

根本医師のアセスメント

ウイルス性咽頭炎で対症療法で良いな。これから仕事に行くんだろうな。解釈モデルを聞きたいところだけど、外来混んでるしな。話し方も理路整然としているしすごく理解も良さそうだ。申し訳ないけど、ここは簡単な説明をして次の診察にうつろう。

 

根本医師と阪井氏の対話

根本医師:「阪井さん、お話を伺って診察した限りでは、のどの風邪だと考えられます。ウイルスが原因なので、数日の経過でご自身の免疫力で自然に治ります。熱があって体もお辛いでしょうから、解熱剤をお出しします。お仕事もお忙しいかとは思いますが、可能な範囲で安静にして頂いて様子を見られるのが良いと思います。」

阪井氏:「先生、抗生物質は出して頂けないんですか?」

根本医師:「風邪は一般的に原因はウイルスですから、抗菌薬は効果がないと言われていますが.....。」

阪井氏:「それはわかってます。細菌に感染している可能性はゼロですか?」

根本医師:「ゼロとは言い切れませんが、可能性は非常に低いと言われています。」

阪井氏:「でも、少しでも細菌の可能性があるのであれば抗生物質を出して頂きたいです。」

根本医師:「私自身は、風邪で受診をされた方に抗菌薬をあまり処方しないようにしているんです。必要のない抗菌薬を処方することで、耐性菌といって抗菌薬が効きにくい細菌が増えていることが今、問題になっているんです。」

阪井氏「先生の考えも分かりますが、それは私個人には関係のないことじゃないですか?」

根本医師:「あの、阪井さん、差し支えなければ、抗菌薬を希望されている理由を伺ってもいいですか?」

阪井氏:「いえ、あなたには関係のないことです。」

根本医師:「ご気分を悪くしてしまったようで申し訳ありません。もし、強くご希望されるのであれば、抗菌薬も処方しますが?」

阪井氏:「さっきと言ってること違うじゃないですか。こっちが不満を言えば、態度を変えるわけですか。もう結構です。別の病院に行ってきますから。」

 わずか5分程度の出来事。阪井氏の去った診察室。呆然とする根本医師。

これは、相互理解がなされずに価値の対立を解消できなかった場面である。この事例を、次回から当人の価値中心の医療という観点から考えていきたい。

 前回概説したように、当人とは患者(patient)はもちろんのこと、関係する人々(医師、看護師をはじめとするその他の医療従事者、患者家族など)を指す。それらのあらゆる人の価値に気づき、それを反映する診療を実践することが当人中心の医療である。

 さて、この事例には、「誰の」、「どのような」価値が作用していただろうか?

 そして、その価値を見出すにはどうしたらよいのだろうか?

読者の皆様にもお考えいただければ幸いです。来週、part 3をお届けいたします。